2013年9月30日月曜日

放射線治療のための入院


午前中に入院。
今日は、明後日からの放射線治療に備えて、説明やマスク作りなど。

放射線は10月2日から、病院が休みの日を除く毎日照射。
30回(おそらく1.8Gy×30=54Gy)で、11月15日まで。10回程度を入院して様子を見ながら受け、その後は外来で。毎週金曜日に放射線科で診察(脳外科とは別)。

昨日買ったiPhoneがよい暇つぶしと気晴らしに少しでもなってくれるといいけれど・・・左は、iPhoneで初めて撮った写真(病院内で)。




放射線治療の影響や副作用についての説明は、

◆腫瘍が目の奥の方にあり、そこに照射するため
・耳の症状・・・キーンとする/聞こえにくくなる/眼鏡がかかる場所に傷ができる場合がある
・鼻の症状・・・奥がペタペタする感じがあるかもしれない

◆むくみが出やすいところなので、寝起きのようなボケっとする感じがする場合がある(飲み薬で対処可)

◆むかつきが出る場合がある(飲み薬で対処可)

◆放射線が当たる場所の皮膚が日に焼けたようになる(外用薬で対処)

◆髪の毛が抜ける

結局、耳の中が少しカサカサしたぐらいで、脱毛も含め説明があったような症状はほとんど気にならず、それよりも気持ちの落ち込みのほうがずっと大きかったし、腫瘍の縮小もほとんど見られず、
これ以上良い状態になることはなかった。むしろ一時的には状態が悪くなったような印象。



今日は他には何もないので、中庭で読書。
放射線治療が進んでいく中では、だんだんと字が読みづらくなり大好きだった読書も難しくなっていく

2013年9月29日日曜日

iPhoneを購入

私たち家族はdocomoユーザーで、さらにryuryuは周りの友人たちのスマホ買い替えが進んでいる中でも「大学に行くまではガラケー」と決めていた。そういうようなマイルールはきっちり守る性格だったので、スマホが欲しいとは一言も言ったことはないのだけれど、モチロン心の中では「いいな~」と思っていたはず・・・

・・・ということで、iPhoneでdocomoのメールが使えるようになった今日、入院中も使えるようにと急遽買うことに。午前中に夫と私で購入し、午後にryuryuとAZ Diningでお昼を食べてからピックアップ。病院でのヒマで心が晴れない時間の気晴らしになってくれればいいと思います。

早速友人にメールしたところ、「それって死亡フラグ立ってるんじゃない?!」と言われたそうで、本人は(もちろん友人も)冗談なわけですが、私としては何ともやりきれない気持ちでした。

今日の晩御飯は、ラグーン
良いお店だったのに、閉店してしまって残念。

明日から放射線治療のための入院です。

2013年9月28日土曜日

何もないことが幸せ

昨日、9月27日も学校を休み、お昼はペパカフェフォレストへ。
ついついランチはタイ料理を選ぶことが多いかもしれません。
あとはカレーかな?

今日はお昼はアムリタ食堂。もうすぐ吉祥寺のタイ料理店は全店制覇?



夜は家族3人でくら寿司。
予約していなかったのでだいぶ待ったけれど、そんな時間も貴重なものになっています。


2013年9月26日木曜日

セカンドオピニオン4件目

今日は、疲れているということで学校を休む。

私と夫は、ryuryuにはもちろん言わずに、別々に家を出て駅で待ち合わせ、国立成育医療センターへ。私にとっては4件目、夫にとっては初めてのセカンドオピニオン。夫婦で一緒に聞けたことは、これからの闘病のためにもとても有意義でした。

良い話はないものの、テモダールについては投与しなくてよいというお話をこちらでもいただき、テモダールのリクエストはしないことをはっきり決めました。

脳幹部神経膠腫は、思春期での発症はほとんどないので、それをもってして(画像ではそうではあるけれど)別の病気の可能性を考えるということはなくもない、しかし治療の方針としては変わらないので、これで再増悪がなかったり、長期に生存できたりすれば、それは後からそうだったと思えばいいのでは?というお話もありました。

アバスチンについては、脳幹には効いていないとのこと、また、最初の放射線治療から十分な時間(1年~1年半)があけば、再照射ということも考えられるということも。再照射による放射線障害の問題も、長期生存できてこそのものなのだと理解しました。

最期はやはり在宅でのケアが一番だということ。
訪問診療医、訪問看護、のみならず、リハビリ、精神サポートのための心理士もチームになってということでしたが、我が家でそれができるのかどうか・・・

現在の状況についてお伝えしたところ、ふらつきなどの症状が今強く出ているならば、ステロイドを放射線治療前にぐっと増やすべきという寺島先生の助言で、すぐにステロイドを増やすお願いを杏林大学の主治医にしました。寺島先生も先に直接電話をしてくれたそうで、すぐに対応してくれました。プレドニゾロン5mgを一日2錠だったのがこの日から8錠に。

けれども、後から思えば、ここで増やしたために、結局ステロイドを減らすタイミングを失ったのではと、今でも私は(選択肢がなかったとはいえ)悔やんでいます。

2013年9月25日水曜日

セカンドオピニオン3件目

今日は雨。
朝から「(状態が)悪くなっている気がする・・・」と言い、頭痛を訴える。
昨日久しぶりに学校に行って疲れたか、雨のせいにしたいけれど・・・



お昼は、9月13日にお昼を食べに行く予定にしていた(急な入院で行けなかった)くら寿司。いっぱい食べて、とても喜んでいた!







午後、ryuryuは祖父母宅へ。
私は3件目のセカンドオピニオン。
病院の選択などでアドバイスがいただけるだろうということで東京脳神経センターの高倉先生を紹介していただき、うかがってみる。

こちらでも、神経膠腫に対しては標準治療だから、ということで放射線治療と同時にテモドロミゾを投与すべきというお話。その他は、病院については問題がない(「私の教え子です」と!)とのこと。放射線治療が終わって最初の検査(MRI)の結果を持ってまた相談にくるように、とのことでした。
病気についての相談というよりは、どこに行けばいいか?どういう道筋があるのか?ということをうかがいたかったので、まあこれはこれでいいのかな、という気持ちです。
が、(そんなことを言っている場合ではないけれど)その程度でうかがうには、ここの料金は高い・・・


さて、
家に戻り、今晩の晩御飯は祖父母と一緒に鉄板焼き

2013年9月24日火曜日

久しぶりの学校とセカンドオピニオン2件目

久しぶりの学校。
足元が不安なので、車で送る。

私はそのまま、日赤医療センターにセカンドオピニオン(サードオピニオン?)を聞きに。
弟の勤務する病院のドクターの勧めで田部井先生にお願いしました。

特に聞きたかったのは・・・

・放射線治療のみ(化学療法を併用しない)という治療について
・この病気の症例を持つ病院のほうがいいのではないか
・再増悪した場合の対応について


予約の時間よりかなり待たされるのは予想していたけれど、忘れられているのでは?と受付でリマインドしたほど。(女子医大よりはマシだった・・・)

でも、ドクターはとても親切で、

◇診断は同じ
年齢は外れるが画像からは典型的な小児脳幹部神経膠腫と思われる

◇化学療法について
・日赤ではテモゾロミド(テモダール)を放射線治療と併用し、継続して服用する
・ただ↑については成人を想定。成人は経過が小児とは違う
・小児脳幹部神経膠腫へのテモゾロミドの投与については確かにエビデンスはないが、診ている範囲では効果があるように見えているので使用している

◇病院について
・悪性脳腫瘍の専門のドクターもいることだし、とにかく家から近い方がいい(なので今の病院でよい)

◇再増悪した場合
・テモゾロミドの投与が第一選択。エトポシドは(自分は)使用しないと思う
・できるかぎり病院ではなく家で過ごすべき

という回答をいただく。

既に埼玉医大でも診断は間違いないと言われていたのでそこのところで希望は持ってはいけないのだけれど、いいことを少しも期待していなかった、といえば嘘になります。

「後(再憎悪後)のことは後で、本人の希望を聞いて選択するべきで、今は希望を持って過ごすことが大切です」

とドクターはおっしゃっていた。
今はまだ、できることを見つけつつ、奇跡があるかもしれないと、前を向いていなくては。


待ち時間が長かったせいで、学校に迎えに行く時間がだいぶ遅くなってしまった。
やはり疲労感が強かったようで、何回か担任の先生から電話もあり、5時間目まで教室にいて後は保健室にいたらしい。本人は健康なときにはクールだった保健の先生(かわいい!)がとても親切だったと嬉しそうにしていたけれど。



2013年9月23日月曜日

セカンドオピニオンを申し込む

17日に小児脳幹部神経膠腫瘍(脳幹グリオーマ)という診断を受けてから、主治医はセカンドオピニモンもどんどん聞きに行った方がいいという姿勢で、何人かの専門の先生のお名前を挙げられた。

9月20日に埼玉医大(当時)の柳澤先生のところにうかがい、次に成育医療センターの寺島先生のところに連絡。受付では寺島先生は現在セカンドオピニオンに対応していないという回答だったのだけれど、病名を伝えると、脳幹グリオーマならば、ということで会っていただけることになり、とりあえず画像と書類を送る。アポイントは9月26日。

今日もryuryuは塾へ。
気晴らしのお昼は、ボナペティ
コーヒーをいただいているときに、砂糖とミルクに「ドトール」と書いてあることをryuryuが発見・・・・(^-^;
まさか関係はないと思うのだけど・・・

ここのところ、吉祥寺までの往復はムーバスを使っています。低床だし座らせてもらえる(杖をついていることで)ので有難いです。

夜は久しぶりに回らないお寿司

2013年9月22日日曜日

靴が履けない

急な入院で、個別指導塾にも慌てて電話連絡しただけだったので、今後のスケジュールも含めて面談してもらうことにした。今までは自転車で行っていたけれど、ふらつきが激しくて自転車にはもちろん乗れないのでバスで行くことにしていたのだけれど、それより何より、家を出ようとして靴が自分で履けない(手と目が呼応しない)ことに驚く。

病気がわかる前、つまりつい10日前までは普通にしていたのに・・・自転車だって乗っていたし・・・

入院中の投薬はグリセオールと少量のステロイドだけだったので薬の影響とは思えない。ということは急激に進行しているのか・・・・


今日はタイのミルクティーも頼んでみました
ちょっと甘すぎ?

行って帰ってくるだけでは疲れもあるのでお昼は吉祥寺のクゥーチャイ。階段が急なので足が不安定だと少し心配だけれど、とにかく行きたいところは行けるうちに。












今日は、そのあと美容院へ。
本当は受験が終わるまでボサボサにしておいて、一気にイメージチェンジをしようと思っていたのだけれど、放射線治療で髪の毛が抜ける可能性もあるので一度きれいにしておくことにした。いつもの1000円の美容院ではなくて、私が行っているところで「とにかくカッコよくしてください!」とお願いした!その結果が・・・・










前の髪型からは想像ができないぐらいよくなりました!
でも、後から見てみると、左右の目がやっぱりおかしいことにあらためて気が付きます。


2013年9月21日土曜日

退院

退院前に主治医から本人に病気の説明。

ギリギリのタイミングで本人には告知しないでおいてほしいということを伝えたので、病名は「脳腫瘍」とだけ。予後についても触れず、今後の治療についての説明だけにとどめてもらった。

・病名は「脳のおでき」、脳腫瘍 ←(「脳のおでき」って・・・それは良く使う表現なのでしょうか?)

・脳幹に近い場所にあるので手術はできない

・放射線治療により、病気を小さくするあるいは消す、症状を良くする効果があるので、5~6週間放射線治療をする

・最初の一週間は入院で、それからは通院しながら。

・2~3週目で良くなってくるので、通学もしやすくなる

・いったん退院して9月30日に再入院。詳しい説明やマスクを作り、10月1日か2日から放射線治療に入る。リハビリも同時に行う


治療の話が主になったので、本人も病気について質問したいことは思いつかなかったのかもしれません。


退院して家に帰ってからまず、「おいしいものを食べよう!」ということでカレーを食べに歩いて武蔵野文庫へ。ryuryuは吉祥寺ではここのカレーが一番のお気に入り。

帰宅後は、病気のせいだけでなく、しばらく動いていなかったせいもあるのかかなり疲れた様子。家に帰ってきて眩暈が起こりいきなりバタンと倒れる。反射的に手が出るものなに、その手が出なくなっているらしい。今まだなかったので本人も私もショックだった。

夜は、とにかくは退院を祝おうということで私の両親と弟夫婦も一緒に車屋へ。


2013年9月20日金曜日

セカンドオピニオン

セカンドオピニオンを聞くために埼玉医科大学国際医療センターへ。
病名を伝えると、すぐにアポイントメントを取ってくださいました。

初めての路線、初めての駅。きれいな病院。
自分がなんでこんなところにいるのかが一瞬わからなくなる。

セカンドオピニオンは、通常、時間単位で料金が決まっているのですが、柳澤先生は今回は家族相談ということにするので、気が済むまでゆっくり話を聞いていってくださいと言ってくださいました。

この病気の子どもたちをたくさん診て、この病気を告げられた子どもの親とたくさん会っていらっしゃるのでしょう、まだ何が起こっているのかよく理解できていない私に対してひとつずつ丁寧に説明してくださりました。なので私もやっと、どういうことなのかが何がまずは大切なのかが見えてきたような気がしました。

このブログは息子が亡くなって9カ月近く経ってから当時の日記を見ながら書いているので、少しは落ち着いているのですが、そうは言ってもあのときは、まだまだ実感なんて全部はできていませんでした。何かの間違いだ、とも、そうは言っても何か方法が、とも思ったり。でも、最初のセカンドオピニオンが柳澤先生にうかがえたことはとても良かったことだと思っています。

◇この病気は手術はもちろん治療方法も、世界のどこを探してもないこと

◇放射線治療で一時的に症状が治まっても必ず再増大すること

◇放射線治療はどこで行っても同じなので、とにかくなるべく早く始めること

◇テモダールもアバスチンも効果は認められていないこと

◇再増大した場合は、ここではエトポシドを使用していて、短期間の効果がみられる場合もあること

◇放射線治療で一時的に良くなったときの時間は、行動に制限はない(から大切に過ごす)こと

◇最期は自宅で過ごせるのが一番だということ

おおよそこのようなことをうかがいました。

このときは、私は再増大後には体の麻痺が進み、でも、意識は最期まであるという状況を家で看取るということが自分にできるというイメージができず、再増大してからこの病院に入院することはできないかとうかがいました(杏林ではそういう例がないようだったので)。柳澤先生は、できるけれどもその場合は一度元気なうちに連れてきてほしいとおっしゃっていました。今になってみると、そうおっしゃっていた意味もよくわかるし、自宅で過ごすというのを第一選択に挙げられたのもその通りだったと思います。

診察室を出るときには、看護師さん(?)に「お母さん、がんばってね」と肩をそっと抱かれて、ありがたい気持ちと共に、ああ、そうなんだ、そういう病気なんだと、あらためてわかりました。



2013年9月17日火曜日

診断

16日の午後に、担当医(最初に診てくれた先生)から自宅に電話があり、今回の病気について説明したいので病院に来てほしいとのこと。夫の時間にも出来る限り合わせるとのことでした。
電話では済まないほどの話なのだと思いつつも、まだそんなことはあり得ないという気持ちの方が強かったので、「どういう内容になるのでしょうか」と聞いてしまいました。のちに悪性腫瘍が専門のドクターが主治医になるので、お電話をくれたドクターには話すことができないのだと後でわかりましたが、それでも、私の覚悟も必要だと思われたのでしょう「非常に厳しいお話をすることになります。予後も含めて」と言われました。

それでもまだ実感はわきません。その時点では「予後」という単語でさえ(もちろん耳にしたことはありますが)どういうことを言おうとしているのかわからなかったのです。

でも、とにかく、私自身の家族にも連絡し、夫、私の母と弟も一緒に病院に行くことになりました。病院では、ryuryuと私たちが会わないようにすごく神経を使っていました。

お話は各病棟にあるカンファレンスルームでうかがうのですが、後にこの部屋の前を通るときにryuryuは「この部屋に呼ばれるのは深刻な話のときみたいだね!」と明るく言っていたのを覚えています。

MRIの画像を見ながら、今後主治医となる先生が、

◇ryuryuの病気は、小児脳幹部神経膠腫(小児脳幹部グリオーマ)という小児がんである

◇脳腫瘍の中でも少ない病気であり、さらにこの年齢での発症はほとんど例がない

◇脳幹(橋という部分)に滲むように発生する腫瘍で、手術で取ることはできないし化学治療も効果がない。つまり治療のしようがない病気である

と説明されました。

さらに

◇放射線治療をすると一時的に腫瘍が縮小し、元の状態まで戻るけれども必ず再増大する

◇なのでその時間を大切にするべき

◇腫瘍は3~9カ月のうちに再増大し、再増大が始まるとそこからは急速に進行する

◇脳幹という部分の腫瘍なので、進行すれば全身の麻痺が進む

母が、元気でいられるのは1年ぐらいということですか?と聞いたときに「いいえ、1年はありません。」とドクターがはっきり答えたのがとても印象的でした。

ドクターは、本人にも告知するつもりだということ、それから、余命が短いからといって好きなことばかりして遊んで暮らすというようなことはせず、やはり学生としてちゃんと勉強して受験するというのがいいと思うとおっしゃっていました。ただ、実際に通うのはおそらく無理だろうとも・・・

不思議と涙も出ないし、悲しいとい気持ちもわきあがってきませんでした。
それよりも、残された時間、息子のためにできることを全てしなくては!とあせる気持ちの方がずっと大きかったのだと思います。

2013年9月14日土曜日

お見舞いありがとう


13日に入院し、14日の土曜日は入院に必要なものをそろえたり、塾や学校への連絡をしたり。

お友だちが撮ってくれた写真


ryuryuも友だちに「脳腫瘍で入院することになった」と伝えたらしく、翌日の15日からは毎日のようにお友だちが来てくれました。


お友だちが撮ってくれた写真

学校が終わってからの時間にわざわざ遠くから来てくれて本当にありがたいです。

学校のお友だちはもちろん受験生でもあるので時間は大切なのに、「顔を見ながら勉強する」と、勉強道具を持ってきてまでお見舞いに来てくれる友人もいて、ryuryuはもちろん私も嬉しかったです。



お友だちが撮ってくれた写真



2013年9月13日金曜日

緊急入院

さして深刻な気持ちでもなく、このあとは自律神経を整える整体にしばらく通おうとか、スクールカウンセラーの先生に紹介された病院はどうなのだろう、とか、いやそれよりも、今日は診察が終わったらryuryuとお昼は何を食べようかな?などと考えながら、まずは神経内科を受診。

診察はCTを撮ってからということでCTを撮って診察を待っていたところ、神経内科のドクターから、影が見えるのでMRIを撮って脳神経外科に診てもらいましょう、もう脳神経外科にも伝えてあります。と言われる。急なので造影剤が間に合わないかもしれないけど・・・というようなことを聞きながら、MRIへ。

このときも、考えていたのは二人ともお昼ご飯のことばかりで、まだ時間がかかるならおにぎりとかパンとか買っておこうね、というような具合でMRIの待ち時間に私が売店に行ったりしていたのですが、脳外科で呼ばれた時には「脳幹に腫瘍のようなものが見えます。脳も全体にむくんでいます。すぐに入院して治療しましょう」と。

それでもまだ、腫瘍と言う言葉は頭に入らず、その脳のむくみがとれれば良くなるのですか?入院は明日からですか?と聞いたりしていました。

ドクターは、悪性腫瘍が専門ではなかったようなのですが、でももうその時点で深刻な状態だとわかっていたと思うのですが、あくまでリラックスした様子で、「いやとりあえず緊急入院ってことにしましました。お昼まだなんですね、とにかく入院の手続きをしてお昼を食べに行くというとで。高校3年生?受験か~がんばらないとね~!」と・・・

結局、ドクターは外に出てもいいと言っていたものの、病院の手続きとしてはそうはいかないらしく、そのまま入院。夫にはもちろんすぐに連絡し、夜に病院には来たものの、この日は説明などはありませんでした。

私たちは、脳腫瘍といっても手術などの治療をして治ったというのもよく聞く話だし、きっと大丈夫。ここのところ尿閉やら多分受験のストレスであちこちおかしかったからゆっくり休んでここでリセットすればいい、と自分たちに言い聞かせていました。

2013年9月7日土曜日

最初の不調

2013年の夏は、やっと本気で受験勉強を始めたときでした。

高い目標に向かって(当時は、「今頃から?」と私は思いましたが)、塾の自習室に誰よりも長くいて、自習室が開く前は(家では集中できないので)カフェに行ったり・・・そのような生活になったところで、まず、排尿困難の症状が出ました。

今思えば、排尿困難はこの病気の症状ともいえると、患者のみなさんの話をうかがって思えるのですが、脳外科の最初の受診でも、関係がないと言われたように、まさかそれが脳の病気だとは思えませんでした。近所の泌尿器科で原因がわからなかったのですが、問題はなさそうということで、自分で排尿できるように導尿の処置をしてもらったり、その後、そのままでは・・・ということで大学病院に行き、ここでも問題は見つからず(泌尿器には)、座る時間が長すぎるのでは?少し運動して血行をよくしては?という診断。実際、それで少し改善されたようでした。

そして、夏休みが終わり、新学期が始まりました。

夏の間は、とにかく尿閉の症状が大変だったのですが、「眩暈がする」というのも訴えていました。私としては、ますます、これは急激に受験のストレスが高まったため、自律神経に失調をきたしているのだろうと思いました。

新学期になり、授業が始まったところで、中3の時に同級生だった友人が事故で夏休み中に亡くなった、という話を聞き、息子はとてもショックを受けていました。見た目よりずっと繊細な心の息子にとって、それはとても大きいショックでした。

そのような中、新学期始まってすぐの体育の授業のとき、ふらついて倒れる、ということがありました。担当の先生から、ふらつきももちろん心配だが、ふらついた後に目を見たら眼振があるので、病院に行った方がいいだろうと言われました。

まずは、耳鼻科ということで耳鼻科を受診。

ですが、耳鼻科的には問題が見つからないということで”念のため”大学病院を受診するようにと言われました。翌週の金曜日(その日が学校が休みになるという息子の希望)に杏林大学病院に予約を入れました。

私は、その一週間の間、神経の問題だと思い、スクールカウンセラーに相談し、思春期の子どものための病院を紹介してもらい、また、自律神経の失調を診る整体に行ってみたりなどしていました。