セカンドオピニオンを聞くために埼玉医科大学国際医療センターへ。
病名を伝えると、すぐにアポイントメントを取ってくださいました。
初めての路線、初めての駅。きれいな病院。
自分がなんでこんなところにいるのかが一瞬わからなくなる。
セカンドオピニオンは、通常、時間単位で料金が決まっているのですが、柳澤先生は今回は家族相談ということにするので、気が済むまでゆっくり話を聞いていってくださいと言ってくださいました。
この病気の子どもたちをたくさん診て、この病気を告げられた子どもの親とたくさん会っていらっしゃるのでしょう、まだ何が起こっているのかよく理解できていない私に対してひとつずつ丁寧に説明してくださりました。なので私もやっと、どういうことなのかが何がまずは大切なのかが見えてきたような気がしました。
このブログは息子が亡くなって9カ月近く経ってから当時の日記を見ながら書いているので、少しは落ち着いているのですが、そうは言ってもあのときは、まだまだ実感なんて全部はできていませんでした。何かの間違いだ、とも、そうは言っても何か方法が、とも思ったり。でも、最初のセカンドオピニオンが柳澤先生にうかがえたことはとても良かったことだと思っています。
◇この病気は手術はもちろん治療方法も、世界のどこを探してもないこと
◇放射線治療で一時的に症状が治まっても必ず再増大すること
◇放射線治療はどこで行っても同じなので、とにかくなるべく早く始めること
◇テモダールもアバスチンも効果は認められていないこと
◇再増大した場合は、ここではエトポシドを使用していて、短期間の効果がみられる場合もあること
◇放射線治療で一時的に良くなったときの時間は、行動に制限はない(から大切に過ごす)こと
◇最期は自宅で過ごせるのが一番だということ
おおよそこのようなことをうかがいました。
このときは、私は再増大後には体の麻痺が進み、でも、意識は最期まであるという状況を家で看取るということが自分にできるというイメージができず、再増大してからこの病院に入院することはできないかとうかがいました(杏林ではそういう例がないようだったので)。柳澤先生は、できるけれどもその場合は一度元気なうちに連れてきてほしいとおっしゃっていました。今になってみると、そうおっしゃっていた意味もよくわかるし、自宅で過ごすというのを第一選択に挙げられたのもその通りだったと思います。
診察室を出るときには、看護師さん(?)に「お母さん、がんばってね」と肩をそっと抱かれて、ありがたい気持ちと共に、ああ、そうなんだ、そういう病気なんだと、あらためてわかりました。
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