16日の午後に、担当医(最初に診てくれた先生)から自宅に電話があり、今回の病気について説明したいので病院に来てほしいとのこと。夫の時間にも出来る限り合わせるとのことでした。
電話では済まないほどの話なのだと思いつつも、まだそんなことはあり得ないという気持ちの方が強かったので、「どういう内容になるのでしょうか」と聞いてしまいました。のちに悪性腫瘍が専門のドクターが主治医になるので、お電話をくれたドクターには話すことができないのだと後でわかりましたが、それでも、私の覚悟も必要だと思われたのでしょう「非常に厳しいお話をすることになります。予後も含めて」と言われました。
それでもまだ実感はわきません。その時点では「予後」という単語でさえ(もちろん耳にしたことはありますが)どういうことを言おうとしているのかわからなかったのです。
でも、とにかく、私自身の家族にも連絡し、夫、私の母と弟も一緒に病院に行くことになりました。病院では、ryuryuと私たちが会わないようにすごく神経を使っていました。
お話は各病棟にあるカンファレンスルームでうかがうのですが、後にこの部屋の前を通るときにryuryuは「この部屋に呼ばれるのは深刻な話のときみたいだね!」と明るく言っていたのを覚えています。
MRIの画像を見ながら、今後主治医となる先生が、
◇ryuryuの病気は、小児脳幹部神経膠腫(小児脳幹部グリオーマ)という小児がんである
◇脳腫瘍の中でも少ない病気であり、さらにこの年齢での発症はほとんど例がない
◇脳幹(橋という部分)に滲むように発生する腫瘍で、手術で取ることはできないし化学治療も効果がない。つまり治療のしようがない病気である
と説明されました。
さらに
◇放射線治療をすると一時的に腫瘍が縮小し、元の状態まで戻るけれども必ず再増大する
◇なのでその時間を大切にするべき
◇腫瘍は3~9カ月のうちに再増大し、再増大が始まるとそこからは急速に進行する
◇脳幹という部分の腫瘍なので、進行すれば全身の麻痺が進む
母が、元気でいられるのは1年ぐらいということですか?と聞いたときに「いいえ、1年はありません。」とドクターがはっきり答えたのがとても印象的でした。
ドクターは、本人にも告知するつもりだということ、それから、余命が短いからといって好きなことばかりして遊んで暮らすというようなことはせず、やはり学生としてちゃんと勉強して受験するというのがいいと思うとおっしゃっていました。ただ、実際に通うのはおそらく無理だろうとも・・・
不思議と涙も出ないし、悲しいとい気持ちもわきあがってきませんでした。
それよりも、残された時間、息子のためにできることを全てしなくては!とあせる気持ちの方がずっと大きかったのだと思います。
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