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2013年9月20日金曜日

セカンドオピニオン

セカンドオピニオンを聞くために埼玉医科大学国際医療センターへ。
病名を伝えると、すぐにアポイントメントを取ってくださいました。

初めての路線、初めての駅。きれいな病院。
自分がなんでこんなところにいるのかが一瞬わからなくなる。

セカンドオピニオンは、通常、時間単位で料金が決まっているのですが、柳澤先生は今回は家族相談ということにするので、気が済むまでゆっくり話を聞いていってくださいと言ってくださいました。

この病気の子どもたちをたくさん診て、この病気を告げられた子どもの親とたくさん会っていらっしゃるのでしょう、まだ何が起こっているのかよく理解できていない私に対してひとつずつ丁寧に説明してくださりました。なので私もやっと、どういうことなのかが何がまずは大切なのかが見えてきたような気がしました。

このブログは息子が亡くなって9カ月近く経ってから当時の日記を見ながら書いているので、少しは落ち着いているのですが、そうは言ってもあのときは、まだまだ実感なんて全部はできていませんでした。何かの間違いだ、とも、そうは言っても何か方法が、とも思ったり。でも、最初のセカンドオピニオンが柳澤先生にうかがえたことはとても良かったことだと思っています。

◇この病気は手術はもちろん治療方法も、世界のどこを探してもないこと

◇放射線治療で一時的に症状が治まっても必ず再増大すること

◇放射線治療はどこで行っても同じなので、とにかくなるべく早く始めること

◇テモダールもアバスチンも効果は認められていないこと

◇再増大した場合は、ここではエトポシドを使用していて、短期間の効果がみられる場合もあること

◇放射線治療で一時的に良くなったときの時間は、行動に制限はない(から大切に過ごす)こと

◇最期は自宅で過ごせるのが一番だということ

おおよそこのようなことをうかがいました。

このときは、私は再増大後には体の麻痺が進み、でも、意識は最期まであるという状況を家で看取るということが自分にできるというイメージができず、再増大してからこの病院に入院することはできないかとうかがいました(杏林ではそういう例がないようだったので)。柳澤先生は、できるけれどもその場合は一度元気なうちに連れてきてほしいとおっしゃっていました。今になってみると、そうおっしゃっていた意味もよくわかるし、自宅で過ごすというのを第一選択に挙げられたのもその通りだったと思います。

診察室を出るときには、看護師さん(?)に「お母さん、がんばってね」と肩をそっと抱かれて、ありがたい気持ちと共に、ああ、そうなんだ、そういう病気なんだと、あらためてわかりました。



2013年9月17日火曜日

診断

16日の午後に、担当医(最初に診てくれた先生)から自宅に電話があり、今回の病気について説明したいので病院に来てほしいとのこと。夫の時間にも出来る限り合わせるとのことでした。
電話では済まないほどの話なのだと思いつつも、まだそんなことはあり得ないという気持ちの方が強かったので、「どういう内容になるのでしょうか」と聞いてしまいました。のちに悪性腫瘍が専門のドクターが主治医になるので、お電話をくれたドクターには話すことができないのだと後でわかりましたが、それでも、私の覚悟も必要だと思われたのでしょう「非常に厳しいお話をすることになります。予後も含めて」と言われました。

それでもまだ実感はわきません。その時点では「予後」という単語でさえ(もちろん耳にしたことはありますが)どういうことを言おうとしているのかわからなかったのです。

でも、とにかく、私自身の家族にも連絡し、夫、私の母と弟も一緒に病院に行くことになりました。病院では、ryuryuと私たちが会わないようにすごく神経を使っていました。

お話は各病棟にあるカンファレンスルームでうかがうのですが、後にこの部屋の前を通るときにryuryuは「この部屋に呼ばれるのは深刻な話のときみたいだね!」と明るく言っていたのを覚えています。

MRIの画像を見ながら、今後主治医となる先生が、

◇ryuryuの病気は、小児脳幹部神経膠腫(小児脳幹部グリオーマ)という小児がんである

◇脳腫瘍の中でも少ない病気であり、さらにこの年齢での発症はほとんど例がない

◇脳幹(橋という部分)に滲むように発生する腫瘍で、手術で取ることはできないし化学治療も効果がない。つまり治療のしようがない病気である

と説明されました。

さらに

◇放射線治療をすると一時的に腫瘍が縮小し、元の状態まで戻るけれども必ず再増大する

◇なのでその時間を大切にするべき

◇腫瘍は3~9カ月のうちに再増大し、再増大が始まるとそこからは急速に進行する

◇脳幹という部分の腫瘍なので、進行すれば全身の麻痺が進む

母が、元気でいられるのは1年ぐらいということですか?と聞いたときに「いいえ、1年はありません。」とドクターがはっきり答えたのがとても印象的でした。

ドクターは、本人にも告知するつもりだということ、それから、余命が短いからといって好きなことばかりして遊んで暮らすというようなことはせず、やはり学生としてちゃんと勉強して受験するというのがいいと思うとおっしゃっていました。ただ、実際に通うのはおそらく無理だろうとも・・・

不思議と涙も出ないし、悲しいとい気持ちもわきあがってきませんでした。
それよりも、残された時間、息子のためにできることを全てしなくては!とあせる気持ちの方がずっと大きかったのだと思います。

2013年9月14日土曜日

お見舞いありがとう


13日に入院し、14日の土曜日は入院に必要なものをそろえたり、塾や学校への連絡をしたり。

お友だちが撮ってくれた写真


ryuryuも友だちに「脳腫瘍で入院することになった」と伝えたらしく、翌日の15日からは毎日のようにお友だちが来てくれました。


お友だちが撮ってくれた写真

学校が終わってからの時間にわざわざ遠くから来てくれて本当にありがたいです。

学校のお友だちはもちろん受験生でもあるので時間は大切なのに、「顔を見ながら勉強する」と、勉強道具を持ってきてまでお見舞いに来てくれる友人もいて、ryuryuはもちろん私も嬉しかったです。



お友だちが撮ってくれた写真



2013年9月13日金曜日

緊急入院

さして深刻な気持ちでもなく、このあとは自律神経を整える整体にしばらく通おうとか、スクールカウンセラーの先生に紹介された病院はどうなのだろう、とか、いやそれよりも、今日は診察が終わったらryuryuとお昼は何を食べようかな?などと考えながら、まずは神経内科を受診。

診察はCTを撮ってからということでCTを撮って診察を待っていたところ、神経内科のドクターから、影が見えるのでMRIを撮って脳神経外科に診てもらいましょう、もう脳神経外科にも伝えてあります。と言われる。急なので造影剤が間に合わないかもしれないけど・・・というようなことを聞きながら、MRIへ。

このときも、考えていたのは二人ともお昼ご飯のことばかりで、まだ時間がかかるならおにぎりとかパンとか買っておこうね、というような具合でMRIの待ち時間に私が売店に行ったりしていたのですが、脳外科で呼ばれた時には「脳幹に腫瘍のようなものが見えます。脳も全体にむくんでいます。すぐに入院して治療しましょう」と。

それでもまだ、腫瘍と言う言葉は頭に入らず、その脳のむくみがとれれば良くなるのですか?入院は明日からですか?と聞いたりしていました。

ドクターは、悪性腫瘍が専門ではなかったようなのですが、でももうその時点で深刻な状態だとわかっていたと思うのですが、あくまでリラックスした様子で、「いやとりあえず緊急入院ってことにしましました。お昼まだなんですね、とにかく入院の手続きをしてお昼を食べに行くというとで。高校3年生?受験か~がんばらないとね~!」と・・・

結局、ドクターは外に出てもいいと言っていたものの、病院の手続きとしてはそうはいかないらしく、そのまま入院。夫にはもちろんすぐに連絡し、夜に病院には来たものの、この日は説明などはありませんでした。

私たちは、脳腫瘍といっても手術などの治療をして治ったというのもよく聞く話だし、きっと大丈夫。ここのところ尿閉やら多分受験のストレスであちこちおかしかったからゆっくり休んでここでリセットすればいい、と自分たちに言い聞かせていました。